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杉田玄白 三十九歳

ターヘル・アナトミア翻訳を誓う。

玄白は、落ち着かなかった。ソワソワしながら前野良沢、中川淳庵らの到着を待っていた。他の人が見たなら、まるで子供のようだと思ったかもしれない。この日玄白は、良沢らと連れ立って小塚原に腑分けを見にゆくことになっていた。

当時、刑場であった小塚原では刑死体の解剖が行われ、医師も願い出れば見学が許されることがあった。しかし、そうそう許されるわけではない。今回の見学は願ってもないチャンスであった。もちろん、玄白は、死体の解剖など見るのは初めてである。

ほどなくして良沢らがやって来た。簡単に挨拶をかわし、さっそく小塚原へ出掛ける。腑分けが始まると、玄白は、オランダの解剖書『ターヘル・アナトミア』と付き合わせてみた。
「な、なんとよく合っておるのだ。全くこの書のままではないか。おや良沢殿、その書は・・・」
よく見ると、良沢も同じ『ターヘル・アナトミア』を持ち、しきりに感心しているのだった。

小塚原からの帰り道、彼らはこの書をなんとしてでも日本語に訳すことを誓い合った。玄白三十九歳、良沢四十九才。『解体新書』の刊行は、これより三年半後となる。

杉田玄白(1733~1817)

若狭国に、外科医の子として生まれる。父のあとを継いで侍医となる。蘭医学への感心を高め、良沢、淳庵らと『解体新書』を刊行する。

梟

 

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源頼朝 三十四歳

東国武士、旗上げす。

頼朝は、安房へ向かう船の中にあった。石橋山の合戦は、完全な負け戦であった。しかし、
「関東の武者は、まだ我を見捨ててはおらぬ。必ず、戻るぞ!」
頼朝の意気は強かった。まだ希望を失ってはいなかったのである。

この石橋山の敗戦からわずか四十日、関東の武士団を従えて、頼朝は鎌倉入りを果たした。頼朝決起の報を受けた平家は、直ちに追討の軍を差し向ける。そして、源氏、平家の両軍は、富士川にて一大決戦を行うのである。時に治承四年(1180年)十月。

川の西岸に陣を構える平家軍は、平維盛を大将軍とし、その数、数万。一方、頼朝率いる源氏の軍は、なんと二十万に膨れ上がっていた。

この大軍を前に、平家軍は動揺していた。脱落してゆく者もあとを絶たなかった。ここにおいて平家は既に戦いに敗れていたのである。史書によれば、平家は水鳥の羽音に驚いて、一戦も交えずに敗走してしまったと言う。

この戦いを契機に、頼朝は、武士政権の基礎を着々と築き上げてゆく。頼朝三十四歳であった。

源頼朝(1147~1199)

源義朝の子として生まれる。平治の乱に父とともに出陣し敗北、伊豆に流される。後、以仁王の令旨を受けて挙兵。平氏を滅ぼして鎌倉幕府を樹立する。

鷹
 

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