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百人一首
CONTENTS

百人一首の基本にふれる(歌番号順)

味わいながら百人一首を覚える

百人一首の時代背景を理解する

 

百人一首にふれる

百人一首の基本にふれる(歌番号順)

小倉百人一首は、鎌倉時代初期の公家・歌人である藤原定家が、古今和歌集から始まる勅撰和歌集からセレクトしたもの。 家庭で気軽に遊べる小倉百人一首、気軽にできる歴史の旅である。末永く付き合っていきたいものだ。
この百人一首を覚えることは、脳に非常に良い効果を与える。特にシニアの場合、認知症予防に有効だ。
百人一首イラスト

上の句をタッチ(クリック)すると、
下の句、作者、解説が現れます。
楽しみながら覚えましょう。

No.1〜10

1. 

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ

わが衣手は 露にぬれつつ

天智天皇(626~672)
秋の田の傍にある仮小屋の屋根を葺いた苫の目が粗いので、私の衣の袖は露に濡れてゆくばかりだ。

2. 

春すぎて 夏来にけらし 白妙の 

衣ほすてふ 天の香具山

持統天皇(645~703)
春が過ぎて夏が来たらしい。夏に純白の衣を干すという天の香具山なのだから。

3. 

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 

ながながし夜を ひとりかも寝む

柿本人麻呂(生没年不詳)
山鳥の尾の垂れ下がった尾が長々と伸びているように、秋の長々しい夜を一人で寝ることになるのだろうか。

4 . 

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 

富士の高嶺に 雪は降りつつ

山部赤人(生没年不詳)
田子の浦に出てみると、まっ白な富士の高嶺に今も雪は降り続いていることだ。

5. 

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 

声きく時ぞ 秋は悲しき

猿丸大夫(8C後半〜9C前半)
奥山で紅葉を踏み分けて鳴いている鹿の声を聞く時こそ、秋の悲しさを感じるものだ。

6. 

かささぎの 渡せる橋に おく霜の 

白きをみれば 夜ぞふけにける

中納言家持(718?~785)
かささぎが連なって渡したという橋、つまり、宮中の階段におりる霜が白いのをみると、もう夜もふけてしまったのだなあ。

7. 

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 

三笠の山に 出でし月かも

安倍仲麿(698?~770?)
長安の天空をふり仰いで眺めると、今見ている月は、むかし奈良の春日にある三笠山に出ていた月と同じ月なのだなあ。

8. 

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 

世をうぢ山と 人はいふなり

喜撰法師(生没年不詳)
私の庵は都の東南にあり、このように心静かに暮らしている。それにもかかわらず、私が世を憂いて宇治山に引きこもったと世間の人は言っているようだ。

9. 

花の色は うつりにけりな いたづらに 

わが身世にふる ながめせしまに

小野小町(生没年不詳)
桜の花はむなしく色あせてしまった。長雨が降っていた間に。私の容姿はむなしく衰えてしまった。日々の暮らしの中で、もの思いしていた間に。

10.

これやこの 行くも帰るも 別れては 

知るも知らぬも 逢坂の関

蝉丸(生没年不詳)
これが例の、都から離れて行く人も都へ帰る人も、知っている人も知らない人も、出逢いと別れをくり返す逢坂の関なのです。

No.11〜20

11. 

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと

人には告げよ 海人の釣舟

参議篁(802~852)
大海原のたくさんの島々を目指して漕ぎ出してしまったと都にいる人に伝えてくれ。漁師の釣舟よ。

12. 

天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ 

をとめの姿 しばしとどめむ

僧正遍照(816~890)
天の風よ。雲間の通り道を閉ざしてくれ。天女の舞い姿をしばらくとどめておきたいのだ。

13. 

筑波嶺の 峰より落つる みなの川 

恋ぞつもりて 淵となりぬる

陽成院(868~949)
筑波山の峰から落ちる男女川の水かさが増えるように、私の恋心も積もりに積もって淵のように深くなってしまった。

14. 

陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 

乱れそめにし われならなくに

河原左大臣(822~895)
陸奥のしのぶずりの模様のように心が乱れはじめたのは誰のせいか。私のせいではないのに。

15. 

君がため 春の野に出でて 若菜つむ 

わが衣手に 雪は降りつつ

光孝天皇(830~887)
あなたのために春の野に出かけて若菜をつんでいる私の衣の袖に、次々と雪が降りかかってくる。

16. 

たち別れ いなばの山の 峰に生ふる 

まつとし聞かば 今帰り来む

中納言行平(818~893)
あなたと別れて因幡へ赴任して行っても、稲葉山の峰に生えている松ではないが、待っていると聞いたならば、すぐに帰ってこよう。

17. 

ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 

からくれなゐに 水くくるとは

在原業平朝臣(825~880)
神代にすら聞いたことがない。竜田川が紅葉によって水を真っ赤に染め上げているとは。

18. 

住の江の 岸による波 よるさへや 

夢の通ひ路 人めよくらむ

藤原敏行朝臣(?~901?)
住の江の岸には昼夜を問わず波が打ち寄せてくる。夜に見る夢の中でさえ、あなたが私のところに通ってくれないのは、人目を避けているからだろうか。

19. 

難波潟 みじかき芦の ふしの間も 

逢はでこの世を 過ぐしてよとや

伊勢(平安前期の女流歌人)
難波潟に生えている芦の短い節の間のような、ほんの短い時間も逢わないまま、一生を終えてしまえとあなたは言うのでしょうか。

20. 

わびぬれば 今はた同じ 難波なる 

みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

元良親王(890~943)
思いどおりにいかなくなってしまったのだから、今となっては同じことだ。難波にある航行の目印、澪標(みおつくし)ではないが、身を尽くしても逢おうと思う。

No.21〜30

21. 

今来むと 言ひしばかりに 長月の

有明の月を 待ち出でつるかな

素性法師(平安前期)
あなたがすぐに来ると言ったばかりに秋の夜長を待っていたら、有明の月が出てしまった。

22. 

吹くからに 秋の草木の しをるれば 

むべ山風を 嵐といふらむ

文屋康秀(平安前期)
吹くとすぐに秋の草木がしおれるので、なるほど山風を嵐というのだろう。

23. 

月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ 

わが身一つの 秋にはあらねど

大江千里(平安前期)
月を見ると、いろいろと物事が悲しく感じられる。私ひとりの秋ではないのだが。

24. 

このたびは ぬさもとりあへず 手向山 

紅葉の錦 神のまにまに

菅家(845~903)
今度の旅は、御幣をささげることもできない。とりあえず、手向けに山の紅葉を錦に見立てて御幣の代わりにするので、神の御心のままにお受け取りください。

25. 

名にしおはば 逢坂山の さねかづら 

人にしられで くるよしもがな

三条右大臣(873~932)
逢坂山のさねかずらが逢って寝るという名を持っているのであれば、さねかずらが蔓を手繰れば来るように、誰にも知られずにあなたを手繰り寄せる方法がほしいものだなあ。

26. 

小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 

今ひとたびの みゆき待たなむ

貞信公(880~949)
小倉山の紅葉よ。お前に心があるなら、いま一度の行幸があるまで散らずに待っていてほしい。

27. 

みかの原 わきて流るる 泉川 

いつ見きとてか 恋しかるらむ

中納言兼輔(877~933)
みかの原を分かつように湧き出て流れる泉川ではないが、いつ逢ったということで、こんなにも恋しいのだろう。

28. 

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 

人目も草も かれぬと思へば

源宗于朝臣(平安前期)
山里は、冬に一段と寂しくなるものだなあ。人も来なくなり、草も枯れてしまうと思うので。

29. 

心あてに 折らばや折らむ 初霜の 

置きまどはせる 白菊の花

凡河内躬恒(平安前期)
当てずっぽうで折るなら折ってみようか。初霜がおりて区別しにくくなっている白菊の花を。

30. 

有明の つれなく見えし 別れより 

あかつきばかり 憂きものはなし

壬生忠岑(平安前期)
有明の月がつれなく見えた。薄情に思えた別れの時から、夜明け前ほど憂鬱なものはない。

No.31〜40

31. 

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに

吉野の里に 降れる白雪

坂上是則(平安前期)
夜がほのかに明けるころ、有明の月かと思うほどに、吉野の里に降っている白雪であることよ。

32. 

山川に 風のかけたる しがらみは 

流れもあへぬ 紅葉なりけり

春道列樹(平安前期)
山中を流れる川に風がかけたしがらみは、完全に流れきらずにいる紅葉だったのだなあ。

33. 

ひさかたの 光のどけき 春の日に 

静心なく 花の散るらむ

紀友則(平安前期)
日の光がのどかに降りそそぐ春の日に、どうして落ち着いた心もなく、桜の花は散ってしまうのだろう。

34. 

誰をかも 知る人にせむ 高砂の 

松も昔の 友ならなくに

藤原興風(9世紀後半?~10世紀前半?)
いったい誰を知己にしようか。いくら高砂の松が長寿だからといっても、昔からの友ではないのだから。

35. 

人はいさ 心も知らず ふるさとは 

花ぞ昔の 香ににほひける

紀貫之(866?~945?)
あなたのおっしゃることは、さあ、本心なんでしょうか。私には分からないですね。なじみの土地では、昔と同じ花の香りが匂ってくるのものですよ。

36. 

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 

雲のいづこに 月宿るらむ

清原深養父(平安前期)
夏の夜は、まだ宵だと思っているうちに明けてしまったが、雲のどのあたりに月はとどまっているのだろう。

37. 

白露に 風の吹きしく 秋の野は 

つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

文屋朝康(平安前期)
白露に風がしきりに吹きつける秋の野は、紐で貫き留めていない玉が散っているのだよ。

38. 

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 

人の命の 惜しくもあるかな

右近(平安中期)
あなたに忘れ去られる私自身については何とも思わないですが、永遠の愛を神に誓ったあなたの命が、誓いを破った罰として失われることが惜しいだけなのですよ。

39. 

浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど 

あまりてなどか 人の恋しき

参議等(880~951)
浅茅が生えている小野の篠原の“しの”のように忍んでいるけれども、どうしてあの人のことが、どうしようもなく恋しいのだろう。

40. 

しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 

物や思ふと 人の問ふまで

平兼盛(?~990)
他人には気付かれないように耐え忍んできたけれど、顔色に出てしまっているのだ。私の恋は。「恋の物思いをしているのですか」と他人が問うほどまで。

No.41〜50

41. 

恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり

人知れずこそ 思ひそめしか

壬生忠見(平安中期)
恋をしているという私の噂が早くも立ってしまったのだよ。他人に知られないように思いはじめていたのに。

42. 

契りきな かたみに袖を しぼりつつ 

末の松山 波越さじとは

清原元輔(平安中期)
約束したのだなあ。互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、末の松山を波が越さないように、二人の愛が永遠であることを。

43. 

逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 

昔は物を 思はざりけり

権中納言敦忠(906~943)
あなたを抱いた後の恋しさに比べると、昔の恋の物思いなどは何も思っていなかったのと同じであったなあ。

44. 

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 

人をも身をも 恨みざらまし

中納言朝忠(910~966)
男女関係が絶対にないのであれば、かえって、あの人に相手にされないことも自分自身のふがいなさも恨むことはないのに。

45. 

あはれとも いふべき人は 思ほえで 

身のいたづらに なりぬべきかな

謙徳公(924~972)
私のことをかわいそうにといってくれるはずの人は思い浮かばず、はかなく死んでいくのだろうなあ。

46.

由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え 

ゆくへも知らぬ 恋の道かな

曾禰好忠(平安中期)
由良の瀬戸を漕ぎ渡ってゆく船頭が櫂(櫓)がなくなって、行き先もわからず漂流するように、この先どうなるかわからない恋の道だなあ。

47. 

八重葎 しげれる宿の さびしきに 

人こそ見えね 秋は来にけり

恵慶法師(平安中期)
幾重にもつる草が生い茂っている家、さびしい家に人は訪ねてこないが、秋だけはやって来たのだよ。

48.

風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ 

くだけて物を 思ふころかな

源重之(?~1000?)
風が激しいせいで岩を打つ波が、自分だけで砕け散るように、私だけが砕け散るような片思いにふけるこのごろだなあ。

49. 

みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 

昼は消えつつ 物をこそ思へ

大中臣能宣(921~991)
皇宮警備の衛士の焚く火が、夜は燃えて昼は消えることをくり返すように、私の恋の炎も夜は燃えて昼は消えることをくり返しながら、物思いにふける日々が果てしなく続くのだ。

50. 

君がため 惜しからざりし 命さへ 

長くもがなと 思ひけるかな

藤原義孝(954~974)
君のためには惜しくなかった命でさえ、結ばれた今となっては、長くありたいと思うようになったよ。

No.51〜60

51. 

かくとだに えやはいぶきの さしも草

さしも知らじな 燃ゆる思ひを

藤原実方朝臣(?~998)
「こんなに愛している」とさえ言えないのですから、伊吹山のさしも草ではありませんが、それほどとはご存じないでしょう。あなたへの燃える思いを。

52. 

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら 

なほうらめしき 朝ぼらけかな

藤原道信朝臣(972~994)
夜が明けてしまうと、必ず暮れて、あなたに逢えるとは知ってはいるものの、それでも恨めしい夜明けだなあ。

53. 

嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は 

いかに久しき ものとかは知る

右大将道綱母(?~995)
あなたが来てくださらないことを嘆きながら一人で寝る夜が明けるまでの間は、どれほど長いものかご存知でしょうか。ご存知ないでしょう。

54. 

忘れじの 行く末までは かたければ 

今日を限りの 命ともがな

儀同三司母(?~996)
忘れはしまいとおっしゃるお言葉は、遠い未来まではあてにしがたいので、今日を限りの命であってほしいものです。

55. 

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 

名こそ流れて なほ聞こえけれ

大納言公任(966~1041)
滝の音は聞こえなくなってから長い年月がたったが、音の評判だけは世間に流れて、今もなお聞こえているなあ。

56. 

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 

今ひとたびの 逢ふこともがな

和泉式部(平安中期)
私は、そう長くは生きていないでしょう。あの世へ行ったときの思い出のために、もう一度あなたに抱かれたいものです。

57. 

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 

雲がくれにし 夜半の月かな

紫式部(970年代~1010年代)
めぐりあって見たのがそれだったのか、それでなかったのかも判らない間に雲隠れしてしまった夜中の月のように、(幼なじみの)あなたはあっという間にいなくなってしまいましたね。

58. 

有馬山 猪名の笹原 風吹けば 

いでそよ人を 忘れやはする

大弐三位(999~?)
有馬山、猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと音を立てる。さあ、そのことですよ。(あなたは、私が心変わりしたのではないかと気がかりだなどとおっしゃいますが、)私がどうしてあなたのことを忘れたりするものですか。

59. 

やすらはで 寝なましものを さ夜更けて 

かたぶくまでの 月を見しかな

赤染衛門(平安中期)
いらっしゃらないことがはじめからわかっていたなら、ためらわずに寝てしまったでしょうに。今か今かとお待ちするうちに夜も更けてしまい、西に傾くまでの月を見たことですよ。

60. 

大江山 いく野の道の 遠ければ 

まだふみもみず 天の橋立

小式部内侍(?~1025)
大江山を越えて生野を通って行く道は遠いので、まだ天の橋立に行ったこともなければ、母からの手紙も見ていません。

No.61〜70

61. 

いにしへの 奈良の都の 八重桜

けふ九重に にほひぬるかな

伊勢大輔(平安中期)
昔の奈良の都の八重桜が(献上されてきて)、今日、京都の宮中に一層美しく咲きほこっていることですよ。

62. 

夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも 

よに逢坂の 関はゆるさじ

清少納言(平安中期)
孟嘗君は、深夜に鶏の鳴きまねを食客にさせて、函谷関の関守をだまして通り抜けましたが、逢坂の関は決して許さないでしょう。 ― あなた(藤原行成)は、翌日に宮中の物忌があるから鶏の声にせきたてられて帰ったと弁解しますが、そんな嘘は私には通用しませんよ。あなたは深夜に帰ったのであって、朝まで逢瀬を楽しんだのではないのですから、いい加減なことはおっしゃらないでください。

63. 

今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 

人づてならで 言ふよしもがな

左京大夫道雅(993~1054)
今はただ(恋愛を禁じられて監視されているいる)あなた〔前斎宮当子内親王〕への思いをあきらめてしまおうということだけを、人づてではなく直接お目にかかってお話しする方法があればなあ。

64. 

朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに 

あらはれわたる 瀬々の網代木

権中納言定頼(995~1045)
朝がほのぼのと明けるころ、宇治川の川面に立ちこめていた川霧がところどころ晴れていって、その合間から現れてきたあちこちの瀬に打ち込まれた網代木よ。

65. 

恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 

恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ

相模(平安中期)
恨みに恨みぬいて、ついには恨む気力すら失って、涙に濡れた袖が乾く暇もありません。そんな涙で朽ちそうな袖さえ惜しいのに、恋の浮名で朽ちてしまうであろう私の評判がなおさら惜しいのです。

66. 

もろともに あはれと思へ 山桜 

花よりほかに 知る人もなし

前大僧正行尊(1055~1135)
山桜よ、私がお前を見て趣深く思うように、お前も私のことを愛しいと思ってくれ。私にはお前以外に知人はいないのだから。

67. 

春の夜の 夢ばかりなる 手枕に 

かひなく立たむ 名こそ惜しけれ

周防内侍(平安後期)
春の短い夜の夢ほどの添い寝のために、何のかいもない浮名が立ったとしたら、本当に口惜しいことです。

68. 

心にも あらでうき世に ながらへば 

恋しかるべき 夜半の月かな

三条院(976~1017)
心ならずも、つらいこの世に生きながらえていたならば、きっと恋しく思い出すにちがいない、この夜更けの月であるなあ。

69. 

嵐吹く み室の山の もみぢ葉は 

竜田の川の 錦なりけり

能因法師(988~?)
嵐が吹く三室の山のもみじの葉は、竜田川の水面に落ちて、川を錦に織りなすのだ。

70. 

さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば 

いづこも同じ 秋の夕暮れ

良暹法師(平安中期)
さびしさに耐えかねて家を出てあたりを見渡すと、どこも同じ寂しい秋の夕暮れだ。

No.71〜80

71. 

夕されば 門田の稲葉 おとづれて

芦のまろやに 秋風ぞ吹く

大納言経信(1016~1097)
夕方になると、家の門前の稲の葉に音を立てて、蘆葺きの小屋に秋風が吹いてくることだ。

72. 

音に聞く 高師の浜の あだ波は 

かけじや袖の ぬれもこそすれ

祐子内親王家紀伊(平安後期)
噂に名高い高師の浜のいたずらに立つ波は、かけないように気をつけましょう。袖が濡れると困りますから。 ― 噂に高い浮気者のあなたの言葉なんて信用しませんよ。袖を涙で濡らすことになるのは嫌ですから。

73. 

高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 

外山の霞 立たずもあらなむ

権中納言匡房(1041~1111)
遠くの山の峰の桜が咲いたことだ。人里近い山の霞よ、立たないでほしい。

74. 

憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ 

はげしかれとは 祈らぬものを

源俊頼朝臣(1055~1129)
私の愛に応えてくれず、つらく思ったあの人を振り向かせてくれるように初瀬の観音様に祈りはしたが。初瀬の山おろしよ、ひどくなれとは祈らなかったのに。

75. 

契りおきし させもが露を 命にて 

あはれ今年の 秋もいぬめり

謙徳公(924~972)
お約束くださいましたお言葉を、よもぎの葉に浮かんだ恵みの露のように、命と思って期待しておりましたのに、ああ、今年の秋もむなしく過ぎていくようです。

76. 

わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの

雲居にまがふ 沖つ白波

法性寺入道前関白太政大臣(1097~1164)
大海原に漕ぎ出して見渡すと、雲かと見まがうばかりの沖の白波だ。

77. 

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の 

われても末に あはむとぞ思ふ

崇徳院(1119~1164)
川瀬の流れが速いので、岩にせき止められる急流が、一度は別れても再び合流するように、愛しいあの人と今は障害があって別れていても、行く末は必ず添い遂げようと思う。

78. 

淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 

いく夜寝覚めぬ 須磨の関守

源兼昌(平安後期)
淡路島との間を飛び交う千鳥の鳴く声のせいで、幾夜目を覚ましたことであろう、須磨の関守は。

79. 

秋風に たなびく雲の 絶え間より 

もれ出づる月の 影のさやけさ

左京大夫顕輔(1090~1155)
秋風のためにたなびいている雲の切れ間からこぼれ出る月の光の何と明瞭なことか。

80. 

長からむ 心も知らず 黒髪の 

乱れて今朝は 物をこそ思へ

待賢門院堀河(平安後期)
あなたが末長く心変わりしないということは信じがたいのです。お別れした今朝は、黒髪が乱れるように心も乱れて、あれこれともの思いにふけるばかりです。

No.81〜90

81. 

ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば

ただ有明の 月ぞ残れる

後徳大寺左大臣(1139~1191)
ほととぎすが鳴いている方をながめると、そこにはほととぎすの姿はなく、ただ有明の月が残っているだけである。

82. 

思ひわび さても命は あるものを 

憂きにたへぬは 涙なりけり

道因法師(平安後期)
うまくいかない恋に思い悩んで、それでも命はあるものなのに、つらさに耐えないで落ちてくるのは涙であったなあ。

83. 

世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 

山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

皇太后宮大夫俊成(1114~1204)
世の中なんて、どうにもならないものだ。(世俗を離れるべく)思いつめて入り込んだ山の奥にも、鹿が悲しげに鳴いているようだ。

84. 

長らへば またこのごろや しのばれむ 

憂しと見し世ぞ 今は恋しき

藤原清輔朝臣(1104~1177)
この先、生きながらえるならば、つらいと感じているこの頃の世の中もなつかしく思い出されるのであろうか。つらいと思っていた昔のことも、今では恋しく思い出されるのだから。

85. 

夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 

閨のひまさへ つれなかりけり

俊恵法師(1113~?)
(愛しいあなたがいらっしゃらないせいで)一晩中、物思いにふけっているこの頃は、夜がなかなか明けようとしないで、(つれないのはあなただけではなく)寝室の隙間さえもがつれなくしているみたいです。

86. 

嘆けとて 月やは物を 思はする 

かこち顔なる わが涙かな

西行法師(1118~1190)
嘆けといって月が私に物思いをさせるのだろうか。いや、そんなことはない。にもかかわらず、まるで月のせいであるかのように、こぼれ落ちる私の涙であるよ。

87. 

村雨の 露もまだひぬ 真木の葉に 

霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

寂蓮法師(?~1202)
村雨の露もまだ乾いていない真木の葉に、霧が立ちのぼる秋の夕暮れであるよ。

88. 

難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ 

みをつくしてや 恋ひわたるべき

皇嘉門院別当(平安末期)
難波の入り江に生えている芦の刈り根の一節(ひとよ)ではないが、〔難波の遊女は〕たった一夜(ひとよ)の仮寝ために、澪標(みおつくし)のごとく、身を尽くして〔旅人を〕恋し続けなければならないのでしょうか。

89. 

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 

忍ぶることの よわりもぞする

式子内親王(平安末期〜鎌倉初期)
我が命よ、絶えるならば、絶えてしまえ。このまま生きながらえれば、(恋心を表さないように)耐え忍んでいる意思が弱ると困るから。

90. 

見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 

ぬれにぞぬれし 色はかはらず

殷富門院大輔(平安末期)
血の涙に濡れて変色した私の袖をお見せしたいものです。雄島の漁師の袖でさえ、濡れに濡れたにもかかわらず、色は変わらないのですよ。

No.91〜100

91. 

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに

衣かたしき ひとりかも寝む

後京極摂政前太政大臣(1169~1206)
こおろぎが鳴く霜の降りた夜の寒々とした筵の上に、衣の片袖を敷いて、一人寂しく寝るのだろうか。

92. 

わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 

人こそ知らね かわく間もなし

二条院讃岐(1141?~1217?)
私の袖は、干潮の時にも海に没して見えない沖の石のように、人は知らないが、涙に濡れて乾く間もない。

93. 

世の中は 常にもがもな 渚こぐ

あまの小舟の 綱手かなしも

鎌倉右大臣(1192~1219)
世の中は不変であってほしいなあ。渚を漕ぐ漁師の小舟の引き綱を見ると、胸をしめつけられるような思いがこみ上げてくるよ。

94. 

み吉野の 山の秋風 さ夜更けて 

ふるさと寒く 衣うつなり

参議雅経(1170~1221)
吉野の山の秋風が吹き、夜もふけて、古都は寒く、衣を打つ音が聞こえてくる。

95. 

おほけなく うき世の民に おほふかな 

わが立つ杣に 墨染の袖

前大僧正慈円(1155~1225)
私が、身の程をわきまえずしたいと願うのは、つらい世の中で生きている人々に覆いをかけることなのだ。比叡山に住みはじめた私の墨染めの袖を。 ― 仏の力で世の中をおおって、人々を救いたいのだ。

96. 

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで 

ふりゆくものは わが身なりけり

入道前太政大臣(1171~1244)
花をさそって散らす嵐の吹く庭は、雪のような桜吹雪が舞っているが、本当に古りゆくものは、雪ではなくわが身であったなあ。

97. 

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 

焼くや藻塩の 身もこがれつつ

権中納言定家(1162~1241)
いくら待っても来ない人を待ち続けて、松帆の浦の夕凪のころに焼く藻塩が焦げるように、私の身もいつまでも恋こがれています。

98. 

風そよぐ ならの小川の 夕暮れは 

みそぎぞ夏の しるしなりける

従二位家隆(1158~1237)
風がそよそよと楢の葉に吹く、ならの小川[上賀茂神社の御手洗川]の夕暮れは、すっかり秋めいているが、六月祓のみそぎだけが夏のしるしなのだった。

99. 

人も惜し 人も恨めし あぢきなく 

世を思ふゆゑに 物思ふ身は

後鳥羽院(1180~1239)
人をいとおしく思うこともあれば、人を恨めしく思うこともある。思うにまかせず、苦々しくこの世を思うがゆえに、あれこれと思い煩うこの私は。

100. 

ももしきや 古き軒端の しのぶにも 

なほあまりある 昔なりけり

順徳院(1197~1242)
宮中の古い軒端の忍ぶ草を見るにつけても、偲んでも偲びつくせないものは、昔のよき(天皇親政の)時代であるよ。

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