あなたと同じ歳の時、
歴史上の人物は何をしていたか?
年齢で見る歴史人物ショートストーリー。
大村益次郎 四十二歳
長州藩の軍務大臣として、幕府軍を相手に活躍。
大村益次郎、元の名前は村田蔵六、彼は兵学者として江戸で名を立て故郷長州に帰るが、江戸では重んじられていた蔵六も、長州では冷遇されていた。しかし、慶応元年(1865年)蔵六は、長州藩の軍務大臣となった。実戦の経験もない彼が司令官となったのである。まさに抜擢である。そこで彼は名も大村益次郎と改める。
翌慶応二年七月、幕府は第二次長州征伐を開始。益次郎は、陸軍を預かり、兵七百人を組織して出陣する。馬に乗れない彼は、兵隊の列の後ろを笠をかぶって歩いていったと言う。
大村軍が幕府軍を目の前にした高津川に来ると、橋がかかっていない。兵たちは動揺した。しかし、益次郎は、そんな兵たちを後ろから一喝する。兵たちはあわてて飛び込み、益次郎に腹を立てながら突撃した。だが、その勢いで、幕府軍に大勝するのである。そして、戻ってくると、そこには橋がかかっていた。益次郎は、
「私に腹を立てれば勇気が出ます。帰りは疲れているでしょうから橋をかけておきました」
と、ケロリとした顔で言う。まさに、用兵と軍略の人であった。この時、益次郎四十二歳。
大村益次郎(1824~1869)
周防国に生まれる。適塾の塾長となる。宇和島藩に迎えられ兵書の翻訳等を指導。帰郷して長州征伐で活躍。王制復古後は京で親兵の編成にあたる。