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歴史人物年齢学

あなたと同じ歳の時、
歴史上の人物は何をしていたか?
年齢で見る歴史人物ショートストーリー。

本多忠勝 三十五歳

主君家康を助け、堺から三河へ。

天正十年(1582年)六月、忠勝は、主君家康とともに堺にあった。家康主従は、信長のはからいで上方見物をしていたのである。その時、突然の悲報が、家康のもとに舞い込んだ。
「な、なに!織田殿が討たれたと。それは、何時じゃ、誰が討ったのじゃ」
本能寺にいた織田信長が、家臣明智光秀により討たれたという報せであった。

この度の堺見物には、家康は軍勢を連れてきてはいない。わずか数人の従者のみである。しかも、京都はすでに光秀の制圧下にあった。

「もはや、これまで。かくなる上は腹かっさばいて・・・」
進退きわまった家康は、信長の後を追うことまで考えた。しかし、忠勝は、それを思いとどまらせる。
「織田殿のご恩に報いるためにも、ここはぜひ三河へ帰らなければなりませぬ。なんとしてでも帰り、軍勢を整えて光秀を討つが肝要でござります」

この言上により、家康一行は、伊賀をまわり山を越えて本国三河へと帰る。もしこの時の忠勝の言上がなければ、徳川政権は誕生しなかったかもしれない。時に、忠勝三十五歳であった。

本多忠勝(1548~1610)

三河に生まれる。家康旗下の武将として、家康とともに働き、その勇猛さから徳川四天王のひとりに数えられる。後に、桑名十五万石に封ぜられる。

鷹

 

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