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徒然歴史散歩
ーゆるりと気になったことー

駿府天下泰平まつり

無料の歴史テーマパーク
徳川家康・1543(天文11)年〜1616(元和2)年の没後400年の節目の年ということで、2015(平成27)年9月に静岡市駿府城公園で、家康公四百年祭「駿府天下泰平まつり」が開かれた。家康の一番の功績といえば、天下泰平の世を築いたということだろうか。家康は74年の生涯のおよそ3分の1を、この駿府で過ごしたという。
静岡といえば、温暖で過ごしやすく、お茶は美味いし、富士山が間近に見え、女子(おなご)は情が深い。家康が気に入っていたのも無理は無い。晩年の「大御所時代」には、家康率いる「大御所政権」が江戸幕府の補助的機関として大きな影響力をもち、城下町として栄えた。
会場では市民ボランティアと協力して再現したという、約15mの駿府城天守閣モニュメントがそびえ立っていた。観覧無料のテーマパークといった感じで、入場者は子どもも大人も楽しく学べるアトラクション「謎解き 家康御殿」「家康公ゆかりの園芸展」「茶会」などを楽しんだ。

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家康の評価

織田信長や豊臣秀吉と比較すると、家康は地味で人気がないと言う人もいる。「家康を名君とするのは過大評価だ。家臣だけで議論をさせ、家臣たちが結論を出したところで決断をするので、ただのまとめ役にすぎない」という見方もあれば、「部下の使い方がうまい」「見習うべき堅実な経営者」という見方もある。いずれにせよ簡単には答えが出ない超大物であることに間違いはない。

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家康と忍者
忍者のアトラクションも行なわれていた。家康と忍者はゆかりが深く、伊賀の一部の者は、本能寺の変の際に、堺にいた徳川家康を護衛して伊賀越えを行なったことから、徳川に召抱えられるようになった。なかでも服部半蔵は伊賀越え以前から家康に重用されていた。現在の皇居、かつての江戸城にあった門「半蔵門」は、彼の名に因んでつけられたと言われている。
時代劇で「江戸の隠密」というと、ドラマの視点により、「正義の見方」の場合と「悪人」の場合があるから面白い。

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朝鮮通信使
今回のイベントで一際目を引いたのが、「朝鮮通信使」のパレード。朝鮮通信使をはじめ、武士団、芸能団体など総勢約300人の大行列だ。
家康と朝鮮通信使の関係がすぐにはピンとこなかったが、朝鮮通信使とは、室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮より日本へ派遣された外交使節団。秀吉の朝鮮出兵以来途絶えていたが、家康の日本へ強制連行した捕虜の返還などの平和外交の努力や、朝鮮の国際的な事情により、再開された。幕府の外交政策において、朝鮮は琉球王国と並んで正式な国交のある通信国とされていた。
当時は、一行の行列見物は庶民にとって大きな娯楽であったようだ。数十年に一度やってくる異国情緒を持った一種の見世物として沿道の民衆にも親しまれていた。サインをねだる者も多数いたとのこと。

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